ニューイングランドからの 小さなこぼれ話
by noogie
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2008年 08月 01日
アメリカに来て2年、初めての家族旅行。
車で2時間、ボストンへ。
こんなに近くにありながら、行った事がなかった。
ニューヨークもまだ行った事がない、、、って言うと、
オドロキの顔をされる、、、自分でもオドロキだけど、、、。
今回なにより驚いたのは、この2年でとてつもなく?ますます?
田舎者になっていたことだった、、、。
すご~い大都会だったよ、ボストンは、、、。
でも、とっても素敵な街だった。
重みのある街並みを眺めながら、
アメリカの歴史はここからはじまったんだな~って、
なんだかとっても不思議な気がした。
2008年 07月 20日
冷蔵庫になくても、それほど困ることのないパセリ。
だけど、、冷蔵庫にあると、ちょこっとしたときに何かと便利なパセリ。
でも、、、ピチピチフレッシュなまま使いきれたことがないパセリ。
茎からチリチリ葉っぱを摘み取って、紙袋に入れて、口を折り曲げて、
冷蔵庫に入れておくと、、、
忘れた頃にドライパセリができあがる!!
この方法を知ってから、パセリがないととっても困るようになった。
ハンバーグやミートボールに混ぜ込んだり、
オーブンに入れる前に、グラタンやラザニアにパラパラしたり、
フレッシュにはかなわないけれど、とってもとっても助かるドライパセリ。
おいしそうなパセリを見かけるとついつい買って来てしまう。
で、冷蔵庫の奥のほうで、しばらくお暇を取っていただく。
(写真右が、お暇開けのパセリ~)
2008年 07月 03日
まだまだ赤ちゃん、なんて思っていた息子が、
遊び方、食べ方、寝方、怒り方、、、なんだかすべてが
このひと月の間に、すっかり「オチビちゃん」になったような気がして
嬉しいようなさみしいような、、、そんなに慌てて大きくならないで~。
おしゃべりもここのところ、グングンと地球人らしくなってきた、、、
英語と微妙な日本語を話す父親と、日本語と微妙な英語を話す母親から
生まれた息子には、なんとか頑張ってもらって、
父親の生まれた国の言葉と、母親の生まれた国の言葉も
話せるようになってもらいたいな~と思っている。
自然に身についてしまいそうだけれど、実はかなり大変なことのようで、
耳にした言葉を、じっくりじっくり、ひたすらじっくり頭の中に溜め込んで、
溜め込んでいたそれを、言葉としてしゃべり始めるまでに、
2つの国の言葉となると、ずいぶん時間がかかるものなのだそうだ。
それが英語と日本語となると、舌の使い方が全く違うらしく、
どちらかの言葉1つだけの場合にくらべて、なんとなんと
7~9ヶ月遅いらしく、英語とスペイン語の場合は2~3ヶ月だと言うから、
本当に大変なことなんだろうと思う。
そんな訳で、まだまだ小さいのに、頭の中がごちゃごちゃと大忙しで
大変なことになってしまっているのだから、心も疲れるはずで、
時々、ドカンと爆発して、困ったちゃんになる。こちらも疲れる、、、。
なので、ドッカーンと大爆発にならないように、
時々、リフレッシュに出かけてすっきりして帰ってくる。
遊具が沢山ある公園は、帰りたくないないないの不満ちゃんになるので、
ブランコだけがある、だだっ広い原っぱのような公園で、
思いっきり走りまわって、びゅんびゅんブランコを楽しんで、
喉が渇いた頃に、りんごジュースで釣って、すっきりした顔で帰ってきたり、
週末に近くの水族館に行って、ぐったり疲れるまで遊んで帰ってくる。
その水族館の一押しが白鯨で、大きな大きなプールのような水槽を
何頭かの白鯨が悠々と泳いでいる姿を、上からと横から眺めることができる。
家族3人、ガラスにへばりついて、じぃ~~~っと眺める。
息子の心をほぐしに行ってるはすが、こちらまでゆったりした気分になれる。
心がすぅぅ~っとして、少し穏やかになったような気がしてくる。
帰り際にも、必ずもう一度へばりついて、じぃ~~~っ。
息子のためにと言いながらも、実は自分のためだったりして、、、。
帰りの車の中で、息子が嬉しそうに一言、、、
「アイ シー ホワイ」、、、I saw a white whale. 、、、かな?
息子が、いったい何て話そうとしているのか、
常に連想ゲームみたいで、ここのところ母ちゃんの頭が大忙しになってきた!!
2008年 06月 15日
6月1日は我が家の記念日。
アメリカ大陸上陸記念日。
2006年6月1日、この大きな大きなアメリカという国にやってきた。
主人にとっては8年ぶり、私と息子、老犬ルナにとっては初めてのアメリカ生活。
あの日から、2年経ったんだ~。
産後3ヵ月半の身体で渡米するということは、想像以上に大変なことだった。
荷物の準備だけにとどまらず、移民の手続きやら、
息子やルナに関する様々な手続き、、、思い出すのもくたびれるほど。
数年の海外赴任のために、日本を離れるということではなくて、
アメリカで Big Mom を見習って、バシッと根を張らなくてはならないのだから。
相当の覚悟と勇気がいることだった。
何より、家族との別れは、ほんとうに辛くて辛くて。
出発の日、空港に向かう車の中で、息子を抱きしめながら
母のにぎってくれたお赤飯のおにぎりを、泣きながら食べたこと、
あのときの気持ちは一生忘れないと思う。
空港で、シアトルに住む老夫婦が、親切にしてくださった。
ご主人がアメリカ人、奥さんは日本人。
あなたを見ていて、声をかけずにはいられなかった。
あなたを見ていると、50年前の自分を思い出すと、話してくれた。
ルナにも、みんな一緒だから大丈夫よと、とっても優しく接してくれた。
穏やかな優しい目をしたご主人が、Will be okay. と笑顔で言ってくれた。
その一言でほんとうに心強くなれた。
あのときの、ルナの不安そうな顔と姿は、
きっと私の姿、そのままだったんだろうと思う。
年老いたルナにとっては、さぞかし辛かっただろうなと、
私の人生に振り回されっぱなしのルナには、
今でも、感謝の気持ちでいっぱい。
そして、長い時間を共に過ごしてきたルナが
いつも側にいてくれたということも、とっても心強かった。
姿は見えないけれど、ルナのことだから、きっとおしりフリフリしながら
たまには遊びに来てくれてるような気がする。
お別れの前夜、どこでも好きなところでネンネしていいよと言ったら、
スタスタと息子の部屋に向かい、ぶぅぅ...と言ってゴロ~ンと息子の脇で
朝まで寝ていたルナのことだから、きっといつも息子のことを守ってくれているはず。
ルナはきっとこれからも、私たち家族の側にいてくれると思えるから、大丈夫。
全てのことが新しくて、チャレンジだった毎日も、
やっとやっと少し慣れてきたように思える。
頼る人もいなくて、心細くて不安でいっぱいだった生活も
少しずつ顔見知りやお友達ができてきて、楽しくなってきた。
石の上にも3年というけれど、あと1年たったら、、、
そう、我が家は転勤族なので、新しい土地に引っ越さなければならない。
移動遊園地やサーカス団のように、荷物をダダダっと積み込んで、
次の土地へ動かなければならない。
ほんとは遊牧民のように少ない荷物をササッとまとめて、
すぅぅ~っと足取り軽く歩き出したいけれど、、、なかなかそうもいかない、、、。
ま~た、引越しだ~。大変だ~。
思い返してみると、何もかもに対して余裕も持てず、
とにかく必死に過ごしてきたように思えるこの2年、
自分で言うのも可笑しいけれど、いや~よくがんばった~♪
一度も日本に帰ることなく、ほんとにほんとにがんばった~♪
さ~、最後の1年位は、楽しまなくっちゃね~♪
なにより、遠く日本から毎日、大きなエールを送って、支えてくれている
家族や友人に、ありがとうの想いでいっぱいです。
本当にどうもありがとう*
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